Artist
当ギャラリーが推奨する二人のアーティスト「ミニー・プーラ」と「バーバラ・ウィア」をご紹介します。
Minnie Pwerle
ミニー・プーラ
ミニー・プーラは1910年にオーストラリアの中心部で生まれ。アトンウェンゲルプの出身で、アンマタイ語とアルヤワル語を話します。1999年後半に独創的な線的表現方法を確立するまで、ミニーは主に大きなろうけつ染めの作品をロバート・ホルムズ地裁のコレクションに委託され製作していました。2000年にメルボルンで初めて単独展示会を開きました。それ以来彼女の展示会はオーストラリア国内で定期的に開かれています。彼女のリズミカルで線的な作品は故郷であるアトンウェンゲルプを表し、それらの作品は直ちに国内外のコレクターを虜にしました。ミニー・プウェールの主な題材はアウィーリー・アトンウェンゲルプ、ブッシュメディスン、ブッシュメロンの種で、それらすべては彼女の故郷とそこで食されている食べ物に関連しています。
アウィーリー・アトンウェンゲルプはいくつかの異なった大きさ、色、パターンの線的作品で表現されています。このパターンはアトンウェンゲルプ地方で儀式中の女性の上半身に施される装飾を表しています。
ブッシュメロンは曲がりくねった線と円形をモチーフに異なった色で表現されており、非常に流動的で、特異な作品です。ブッシュメロンの種は大小の色の小片をキャンパス上に散りばめることで表現されています。
どちらの題材もアトンウェンゲルプの小さなブッシュでのみ取れる果実を物語っていています。以前は夏季に豊富に取れたフルーツですが今ではその数も減少しています。以前はミニーやその地域に住む女性たちはこのフルーツを集め、小さな黒い種を採集していました。彼らはそのフルーツをその場で食べたり、乾燥して保存食として食べ物の乏しくなる時期まで保存していました。
ミニーには有名なアボリジナルアーティストのバーバラ・ウェイアーを含む7人の子供がいます。ミニーは現在未亡人で、アルパッラのユートピアに数名の子供たちと住んでいます。※2006年3月 永眠
Barbara Weir
バーバラ・ウィア
バーバラ・ウィアは1945年ごろアリススプリングスの北東ユートピアに生まれた女性。アボリジニの母とアイルランド人の父を持つ彼女は両文化の特徴が上手く調和されたユニークな性格の持ち主である。
1950年代に、オーストラリア政府が行った政策により彼女は9歳のときに無理やり両親のもとから引き離されてアリススプリングス・ダーウィン・ブリスベンなど次々と異なる白人家庭のもとへと引き取られていった。そうしているうちに、自分の言語もだんだんと忘れていきいつのまにか白人社会へと染まっていったのである。だが、心の片隅にはいつも"自分の故郷ユートピアへ帰りたい"という気持ちが強くあったため、1970年代はじめに自らの意志で再び故郷へと戻って行ったという。
この作品「母の故郷」にはバーバラが自分の故郷であるユートピアへついに戻れた深い喜びと、ありのままの自分をそのまま受け入れてくれた居住区の女性たちへの感謝の気持ちが込められている。
作品にうっすらと下層に見えるデザインはユートピアのアマチャラ言語集団の女性の身体に描かれる特有のボディ・デザインでその上に砂のベールをかけたような細かい筆づかいがこの作品を一層ユニークなものにしている。
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